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2010年07月13日

感覚に身を委ねてみるほうがたぶん当たる【blandford】

ケイバライフの読者さんは圧倒的に20代30代40代の男性が多いので、麻雀をする人もけっこう多いかな?

僕は最近まったく麻雀やる機会がなくなってしまったけど、20代の頃は週に2回ぐらいは徹マンやってたもんだった。まあ、いつも同じようなメンバーでやってて、フリーの雀荘とかに行ったことはないので、自分の実力がどれぐらいのものかはまったく分からないんだけどね、でもたぶんヘボクラスでしょう(笑

そんなヘボクラスでも、ずーっとやりこんでると感覚ってけっこう研ぎ澄まされてくるもんで、盲牌した瞬間に「あ、この牌はキーになる牌だな」と直感的にわかってしまうことがある。
それは、その時進行中の自分の手牌にまったく関係の無い牌だったりするんだけど、まさに、右手の親指の腹がグッと牌をこすって盲牌した瞬間に、

「ん!」

とひらめく感じだ。
麻雀をやりこんだことのある人なら、この感覚、わかるんじゃないかな?

感覚が研ぎ澄まされている時ってこういう感覚が外れることはまずほとんどなくて、自分の手役には直接関係なくても、その牌で相手はダマで待ってたりすることもある。 もちろんその逆に、その時の手配の進行にまったく関係なさそうに見えたその牌の近辺が厚くなって、まさにその牌で上がることもある。不思議なもので、そのキー牌が重なって、アンコ系の重たい手が上がれたりすることもある。

この、「感覚が研ぎ澄まされてくる」という感じは、唯一、「麻雀をやりこむ」ことによってのみ得られるものだった。
もちろん、普通に麻雀をやってるときには、最初のうちはだいたいが理屈で考えたりテクニックに頼ったりしながら、自分の分かる範囲で「理詰め」の麻雀をやってるんだけど、午前2時を回る頃からなにかひとつ壁を超える感じがあって、その頃になると、人の捨て牌を意識してジロジロ見たりしなくても、ざっと捨て牌の河をチラっと一瞥するだけで、だいたいどんな方向に向かって相手が手作りを進めているのかが直感でわかるようになってくる。

そうなるとテンパイの気配もほぼ間違いなく分かるし、ほとんど放銃はしなくなってくる。

感覚というのは理屈を超えたところに存在するので、若かった頃は前半戦はセオリー重視、徹夜後半は感覚重視の麻雀で、なかなか楽しく遊べたものだった。もちろん、勝つのは感覚が研ぎ澄まされている時で、こういう時はもう自然体に普通に打ってれば、まず負けない。セオリーで打ってる時は、普通に勝ったり負けたりだった。

もちろん、いつも感覚が研ぎ澄まされてたわけじゃないけどね(笑
体調や気分や天気や場所によって、ずいぶん影響を受ける程度の感覚でしかなかったから、とてもじゃないけど100戦100勝とはいかなかった。

パドックも、ずーーーーーっと毎週毎週飽きもせず懲りもせず見続けてると、この「感覚」が舞い降りてくる時がある。
今年はしばらく体調を崩したり会社がえらいことになったりして、けっこうパドックから離れてる時期が長かったので、今まだ自分の中に「競馬をやりこんでる」という自覚がない。

でも、今年は秋競馬に向けて競馬をやりこんでやりこんで、しっかり感覚を研ぎ澄ましていきたいもんだと思ってる。


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日時: 2010年07月13日 02:17
カテゴリー: F 競馬雑談